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ポストモダン時代のインテリア考察。80年代を彩るデザイン

お役立ちコラム

「ポストモダン」という言葉をご存知でしょうか?

1940〜1970年代のミッドセンチュリー時代を経て生まれたポストモダンは、音楽や文化が一気に花開いた時代でもあります。

私は1980年代多感な小学生時代を過ごしましたので、当時の事をよく覚えています。一言で表現するならば、「大変明るく元気な時代」でした。

今回は、そんな明るく楽しかった1980年代に生まれたポストモダン時代のインテリアについて考えてみたいと思います。

ポストモダン時代のデザインとは?

音楽やアート、ファッションなどが世界的に開花した華やかな時代に生まれた「ポストモダン」という概念。

ポストモダンとは、それまでの都会的で洗練されたモダンな時代を否定する考え方から生まれました。そんな1980年代、インテリア業界ではさまざまなデザイナーが活躍した時代でもあります。

今回はポストモダンを代表する世界と日本のデザイナー2人をご紹介します。

倉俣史郎の世界観

倉俣史郎は日本を代表するインテリアデザイナー。

家具や空間デザインを多数手掛け、1960〜90年代にかけて世界的に評価された数々の作品を世に残しました。

家具のデザイン分野に於いて「フランス文化省芸術文化勲章」を受章するなど、「クラマタ・ショック」と呼ばれる独創的な世界観を構築しました。

参照 : Wikipedia「倉俣史郎」より

独創的な作品の数々

イタリアデザイン界に認められるモノ作りを目指した倉俣史郎の作品は、「美しさ」や「儚さ」といったメッセージが込められています。

また、1980年代に世界のデザイン業界を虜にしたデザイン集団「メンフィス」にも参加。そんな倉俣史郎の代表作を2作品ご紹介します。

可憐な花が浮かぶ椅子

Miss Blanche・ミス・ブランチ
1988 design/倉俣史郎

手仕事のため、世界で56脚しか生産されなかった倉俣史郎の代表作「ミス・ブランチ」。

「欲望という名の電車」の戯曲に登場する主人公が来ていたバラ模様の衣装をモチーフに生まれたデザインと言われています。

倉俣氏が目指した透明で浮遊感のある希少な作品です。

エレガントで繊細な金属チェア

How High The Moon・ハウ・ハイ・ザ・ムーン
1986 design/倉俣史郎

鋼を薄く伸ばした建築下材「エキスパンドメタル」を使用し、メタルの堅牢さとは真逆の柔らかさや浮遊感を表現したデザイン史に残る名作。

素材の強度と見た目のバランスを極限まで追求し、「儚さ」や「浮遊感」を表現した作品となっています。

アートと実用性を意識

倉俣史郎が手掛けた作品は量産できる仕様のモデルは少ないですが、アート作品の領域まで高めたデザイン性のある家具を多数残しました。

また、素材としての持ち味をデザインに活かしつつ、座り心地など家具としての実用性も考えられていました。そんなアートと実用性を意識した作品は、ポストモダンという価値観を代表するデザインとして、現在も語り継がれています。

ポストモダンの中心人物とは?

規律正しく都会的で洗練されたモダンの価値観。この世界を塗り替えるべく生まれたポストモダン活動の中心人物をご紹介します。

エットレ・ソットサスのデザイン集団

イタリアの建築家エットレ・ソットサスは、1980年に若いデザイナー、建築家を自宅に集めた酒の場で「メンフィス・グループ」を結成しました。

この日各自のデザイン作品を持ち寄る事を約束し、翌1981年9月に開催された「ミラノ・サローネ」第一回展覧会に出展。メンフィスの既存の概念を覆す新しい作品表現は高く評価され、世界で注目されるデザイン集団となりました。

メンフィスが目指した自由な概念

エットレ・ソットサスを中心としたメンフェスのデザインの特徴として、1970年代のデザインになかったユーモアセンスや明るくポップな色柄などの要素があります。また、クライアントの意向や制約なしに自分達が作りたいデザインを自由に制作するスタイルを取り、ポップアートやアールデコなどを新しい解釈で表現。

従来のモダニズムにおける「グッドデザイン」とは大きく異なる作品を発表して行きました。
メンフェスは家具のデザインに留まらずさまざまな企業と提携し、公共と生活、個人間のデザインを手掛けるなど家具以外のデザインプロジェクトにも携わりました。

参照 : Wikipedia「メンフィス」より

ポストモダンという時代を経て

キース・ヘリング Keith Haring
1958-1990

キース・ヘリングは1980年代さまざまなストリートアートを生み出し、瞬く間に世界的アーティストとなりました。社会貢献活動も積極的に行った、ポストモダンを代表するアーティストです。

合理性や機能性を重んじたモダニズムを脱却し、新たに装飾性や象徴性といった考え方を重視したポストモダニズム。1980年代にはそれまでになかった価値観に基づく建築やアート作品が生まれました。

時代の気分を象徴する言葉

建築家のロバート・ベンチューリはポストモダンの提唱者ミース・ファン・デ・ローエの標語「Less is more(少ないほど豊かである」に対し「Less is bore(少ないほど退屈である)というコメントを残しています。

規則や決まりを重視するモダンから、より自由で多様な表現を求めたポストモダンの考え方の違いを知る事ができます。

ポストモダニズムの終焉

1990年代に入り、時代は自然派のナチュラル志向やモダンに移行する中、ポストモダンの表現は次第に使われなくなっていきました。

建築やアート、ファッションや家具など様々なデザインに波及したポストモダンは、戦後のバブル期を象徴する概念だったと言えるでしょう。

まとめ

今回はポストモダン時代のインテリア考察と、80年代を彩るデザインについてご紹介しました。

規則や合理性を重視したモダニズムの考え方から、ポストモダニズムではユーモアや鮮やかな色使いなど、それまでの既成概念を打ち崩すデザインが生まれていきました。

こうした時代の空気感を表現するように、倉俣史郎やエットレ・サットスなどの作品からは、素材の可能性を活かす事や今までのルールに捉われない表現を見る事ができましたね。

当時の世界的な好景気も後押しし、装飾性や多様性を重視した自由でフレキシブルな建築やアートが生まれた時代。

ポストモダンを象徴する明るく元気な時代の気分は、今日のデザインに大きな影響を与えたと言えるでしょう。

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